583年、仏教が初めて公式に日本に伝えられて以来、多くの仏典とともに宗教絵画を中心とした絵画が中国を通して導入されました。これ以降、これらの絵画の技法や材料をもとにした絵画が日本でも描かれるようになり、平安時代(794-1192)には日本の風景や文学作品を主題にした優れた絵画が描かれるようになりました。特に遣唐使の廃止(894)により、一時鎖国状態になった日本では、日本独自の絵画様式が形成され、これらの絵画を中国の絵画(唐絵)と区別して大和絵と呼ぶようになりました。

また、中国唐代(618-907)に、描かれるようになった水墨画が日本では鎌倉時代(1192-1331)前半、中国との貿易が再開された際にに導入されました。水墨画は禅宗の思想と深く結びついていて、墨一色の濃淡と調子のみによって描かれ、微妙な墨色の変化と余白の中に深い精神性を見出すものです、大和絵とは別のジャンルとして発展しました。

後に水墨画の精神性は、長谷川等伯 (1539-1610)や、桃山時代(1573-1603)から江戸初期の画家、俵屋宗達などにより日本的捕らえ方が見出されていきます。また狩野正信を(1434-1530)を始祖として室町(1392-1573)後期から江戸時代を通して武家の御用絵師として繁栄した狩野派、宗達の流れを受けた尾形光琳により始まり、坂井胞一により完成された琳派などの大きな派閥の形成とともに、多くの優れた絵師たちによって、大和絵の技法と混合されながら、日本独自の絵画スタイルや美意識が徐々に確立されていきました。


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